シクラメンのかほりはオランダ航空×北原白秋×エルビス・プレスリーでできた?


椋佳さんの奥様の名前は、「佳穂里」さんだそうです。
シクラメンのかほりは、佳穂里夫人を想ってかいたものなのでしょうか?
なにしろ、中学生時代からの初恋をずっと大切に、思い続けて結婚されたようですから・・・。

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以降、報知新聞の8月1日の小椋佳さんのインタビュー記事から抜粋です。

1975年、シクラメンのかほりが大ヒット。
「シクラメンのかほり」は東京・赤坂のオランダ航空の応接室に飾られていたシクラメンの鉢がきっかけで生まれたそうです。

小椋佳さんは、東大法学部wp卒業して、日本勧業銀行にお勤めだったのですが、

「赤坂銀行の赤坂支店をつくる支店開設準備委員の一員で営業の仕事をしていた時。
カタカナの看板の会社は全部お前が担当だって言われて、その中の一つだったんですね。社長と親しくなって、そこ行くとコーヒーを出してくれるんで、僕のサボり場所だったんですよ。」

コーヒーを飲んでいると、窓際にある3つの鉢植えが目に入った。

「それがシクラメンだったんですね。僕は知らなかったんですよ。これ何ですか?って。そこで、これで歌を作ろうと思ったんです。」

当時、詩人・北原白秋の全集を読んでいた。
その中の言葉で、今聞いても新鮮だなっていう言葉に全部、マーカーで印をつけていそうで、それを全部寄せて書き出したのが、シクラメンのかほりの詩になるんですよ、「詩」はね、全部北原白秋なんですよ。

そして、文体はエルビス・プレスリーの「マリー・イン・ザ・モーニング」という曲を用いた。

1番は、「朝見るマリーほどすてきなものはない」
2番は、「昼見るマリーほどすてきなものはない」
3番は、「夜見るマリーは、最高だ!」
という、何々ほど何々なものはない、という文体を借りちゃおうとなって、
「シクラメンほど清(すが)しいものはない」という文体に決めたんだそうです。

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でも、この年にアルバムを作ることになったのですが、「借り物の技巧に走っている」というのが自分で許せないというか嫌に感じて
アルバムにいれることができず、「不良在庫」なるものにしていたそうです。

そんな時に、布施明さんに2曲書いて欲しいと頼まれて、渡した曲の1曲が「シクラメンのかほり」。
それが、長期出張でアメリカに行っている間に大ヒットして大騒ぎになったんだそうで、世の中、わかりませんね。

シクラメンのかほりは、佳穂里夫人?

小椋佳さんの奥様の名前は、佳穂里さんだそうです。
シクラメンのかほりは、佳穂里夫人を想ってかいたものなのでしょうか?

自分で作った詩や曲を愛する人に捧げるというお話は小説のようですが、こんなに想いのこもった美しい歌を捧げられた人って、どんな女性なんでしょう?ね。

シクラメンの花には、匂いがまったくといってよいほど、ないのだそうです。
「シクラメン」はシリア、トルコ、ギリシアなどの土地が原産地ですが、やや不快な匂いだったので、ヨーロッパで園芸植物として育てられているうちに、匂いがしないように品種改良されたからです。

日本に入ってきたのは明治時代ですが、「ブタノマンジュウ」と命名されたそうです。
『豚の饅頭』は、植物学者大久保三郎[4]がシクラメンの英名:sow bread(雌豚のパン=シクラメンの球根が豚の餌になることから命名)を日本語に翻訳したそうですが、シクラメンの花のイメージとまるで違うひどい名前だと思ったら、球根が豚のえさだったんだ!

もう一つ、「篝火花(カガリビバナ)」はシクラメンを見たある日本の貴婦人(九条武子だといわれている)が「これはかがり火の様な花ですね」と言ったのを聞いた植物学者牧野富太郎が名づけたものだそうです。

前者は球根を、後者は花を見て名づけている、視点が違えば、こうもかわるんですね。

結局、この和名が使われずに、シクラメンとだけ呼ばれるようになりました。

『シクラメンのかほり』がヒットすることによって、香りのあるシクラメンを求める声が高まり、花卉技術者が努力を重ねた結果、シクラメンにも香りのある品種ができたそうです。
その香りは佳穂里夫人のイメージとつながりのあるものなのでしょうか?。

作詞・作曲:小椋 佳、
唄:布施 明

真綿色した シクラメンほど
清(すが)しいものはない
出逢いの時の 君のようです
ためらいがちに かけた言葉に
驚いたように ふりむく君に
季節が頬をそめて 過ぎてゆきました

うす紅色(べにいろ)の シクラメンほど
まぶしいものはない
恋する時の 君のようです
木もれ陽あびた 君を抱(いだ)けば
淋しささえも おきざりにして
愛がいつのまにか 歩き始めました

疲れを知らない 子供のように
時が二人を 追い越してゆく
呼び戻すことが できるなら
僕は何を 惜しむだろう

うす紫の シクラメンほど
淋しいものはない
後ろ姿の 君のようです
暮れ惑(まど)う街の 別れ道には
シクラメンのかほ(お)り むなしくゆれて
季節が知らん顔して 過ぎてゆきました

疲れを知らない 子供のように
時が二人を 追い越してゆく
呼び戻すことが できるなら
僕は何を 惜しむだろう

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