京都観光縁結びの神様 祇園祭の保昌山 宵山に縁結びと再婚のお守り


 保昌山(ほうしょうやま)・縁結びの御利益で人気

保昌山は他の山鉾が集まっているところから少し離れて、東洞院高辻を下がったところに建っています。  
明治の初めころまでは“花盗人山”(はなぬすびとやま)と呼ばれて、親しまれていたそうで、そ由来は、源頼光四天王の一人、丹後守平井保昌(たんごのかみひらいやすまさ)と和泉式部(いずみしきぶ)の恋物語が由来とされ、この話は、世阿弥作と伝えられる謡曲「花盗人」(番外)から取材したものと考えられています。

祇園祭地図

平井保昌は、恋する和泉式部から,御所の紫宸殿(ししんでん)前の紅梅を手折ってほしいという難題を出され苦労して一枝手折ったものの,発見されて矢を放たれ危ないめに合いながらも、ようやく紅梅を持ち帰って恋を実らせ、後に妻に迎えることができました。
和泉式部も恋多き女から脱皮して穏やかな結婚生活をおくることができたのです。

実は、和泉式部は、この結婚4回目。
999年に和泉守橘道貞の妻となり、和泉国に赴任。
その土地の名にちなみ、和泉式部と呼ばれるようになり、夫道貞との間に娘がいましたが夫の浮気?で婚姻は破たん。
宮中に戻り、シングルマザーとして働いていましたが、冷泉天皇の第三皇子、為尊親王との身分違いの熱愛したり、為尊親王の死後、こんどはその弟の敦道親王に求愛され、一子を授かりましたが、悲しくも敦道親王も早世。

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再び、シングルマザーとして、宮中に復帰した時に現れたのが、武将の平井保昌なのです。
保昌山の由来になった物語を経て、1013年に彼と再婚することになり丹後に一緒に赴任します。

和泉式部が生まれたのは、978年とのこと。
平井保昌と再婚した時の年齢は35歳、和泉式部と結婚した時平井保昌は、なんと55歳。
和泉式部とは、20歳も歳が違うおじさまですが、恋多きといわれてきた和泉式部でしたが、やっと落ち着いて生涯を共に過ごした相手が、平井保昌なのです。

平井保昌自身も、「後拾遺和歌集」に和歌を1首載せる歌人、歌をよむ風流なところもあって、ただの無骨な武将ではなかった。
共通の趣味が、心を通わせるきっかけになったのかもしれません。

そんなこんなで『保昌山』の御利益は、適齢期の女性はもちろんですが、中年男性にとっても、若い生涯の伴侶になってくれる女性に出会う縁結びのご利益がいただけることに違いありません。宵山には、縁結びのお守りが授与されます。ぜひ、ゲットしてくださいませ。

yjimage保昌山

182561364保昌山

グッズ:
 お符付きちまき 600円
 御守      500円
 お守り結び   300円
 お府      300円
 縁結び絵馬   300円
 和泉式部匂袋  700円
 

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